神戸に出張でした!

Ray-Ray2006-08-09

毎日、暑いですね。

神戸に出張でした!気温は35度・・・
エアコンのない場所でお仕事でしたので、大変でした。
いくら水を飲んでも飲んでものどが渇くんです。

最終日にタクシーに乗って異人館方面へ行きました。
一時間もいなかったでしょうか?
すぐに帰って来なければならなかったのは残念でしたが、気温のことを考えるとちょうど良かったのかも知れません。

今度は観光でのんびり散策したいです。
(もちろん涼しい季節に!)

「恥ずかしい」と「エロい」について

コメントいただけると、考えるきっかけになりますね・・・
前の日記で、魯介クンが「恥ずかしい」ということについてコメントをつけてくださいました。
 恥ずかしがっている姿が「エロい」。

「人造眼鏡っ娘図書委員長」としてステージに立ったことのあるわたしとしては、すごーく重い一言です。


「恥ずかしい」という気持ちは、喜怒哀楽いろんな気持ちがある中でも、やっぱりあんまり嬉しくない気持ちです。でもー、「嬉し恥ずかし」という言葉があるように、嬉しいんだけれど恥ずかしくて、どうしたいいか分からなくて、混乱しちゃって、はちゃめちゃ。ということもあります。
(あれ?文章がはちゃめちゃです)


例えば、「喜んでいる人」と「喜んでいない人」が対決したら、「喜んでいる人」のほうが「勝ち」な気がします。
そう考えると、「恥ずかしがっている人」と「恥ずかしがっていない人」が対決したら、「恥ずかしがっていない人」のほうが「勝ち」っぽいです。


・・・ということは、ありがたいことにイベントに出演させてもらっていたにもかかわらず、毎回恥ずかしがってはちゃめちゃになっているわたしは「負け」なのかもしれません。


しかも、もし恥ずかしがっている姿が「エロい」のだとしたらー。
「エロいと思われている人」と「エロいと思っている人」が対決したら、「エロいと思っている人」のほうが能動的で「勝ち」っぽいので、わたしは二重に「負け」です。


でも最近は、「エロ可愛い」とか「エロカワ」という言葉ができて、「エロい」ことが良いことになっています。
さっきの対決の、「エロいと思われている人」が、「エロいと思われると嬉しい人」なのか「エロいと思われると嬉しくない人」なのかで、勝ち負けは大分違いますね。


「エロいと思われると嬉しい人」が、他の人から「エローい☆」と思ってもらったら、きっと嬉しいでしょう。
(そんな風に割り切れたらいいな。。。)


それに、「エロいと思われると嬉しい人」と「エロいと思われると嬉しくない人」が対決したら、「エロいと思われると嬉しい人」のほうが強そう!!勝ちますね。


でもー、でもー、よく考えると、「エロいと思われると嬉しい人」がイメージしている「エロい」と、「恥ずかしがっている姿がエロい」と思っている人がイメージしている「エロい」は、ちょっと中身が違いそうです。


「エロいと思われると嬉しい人」がイメージしている「エロい」は、なんだか強そうだけど、「恥ずかしがっている姿がエロい」と思っている人がイメージしている「エロい」は、弱そう。



わたしはどうしてもステージに立つことが恥ずかしいので、もし、わたし・水野レイが恥ずかしがっている姿がエロいと思う人がいたら、わたしって弱そうに思われているのかもしれないし、実際に弱いし、負けちゃっています。
(そう思うだけで恥ずかしい。。。)


じゃあ、どうするか?

恥ずかしがらない!!








それは、無理ーーー(>_<)



というわけで、何の解決にもならないのでした・・・

夏休み。

学生・生徒・児童さんたちはもうすぐ夏休みですね。
自分が学徒だったころは、夏休みって、たくさん本が読めるから待ち遠しかった記憶があります。
でも今は、そんなに「はやく夏休みになればいい」とは思わないんです。
仕事をするっていうことが、とても有意義なことだと感じているからです。

この間、おばあちゃんのところにお見舞いにいったら、おばあちゃんはこう言いました。

「まめに働けることほど、楽しいことはない」

そうだなーって思いました。健康で、一つ一つ仕事をこなしていけることは「楽しい」です。
「楽」ではないけれど、自分が何か有意義なことをしているという実感があるので「楽しい」です。


わたしの好きなことばの一つを書こうと思います。

「職業に貴賎なし」

どんな仕事でも、大事。どんな仕事でも、大変。

逆に、全力を尽くせないことは、ツラいことですね。
働くことがままならない、本来の業務がまっとうできない、というのはしんどいです。

きちんとまめに働きたい。そう思う今日この頃です。

ご無沙汰しておりました・・・

「眼鏡」のことや「眼鏡っ娘」のこと、書きたいことはいろいろあるけれど・・・
最近は、わたし自身が変化してきました。

誰が読んでいるわけでなくても、
誰か知らない人が読んでいるのであっても、
「わたし」が今いちばん書きたいことは、
「わたし」が今いちばん関わっていることになってしまいます。

だから当然、「眼鏡萌え」のことや、読んだ本のことも書くと思うけれど。
どうしたらいいのかなあ?

こういうときは、ゆっくり考えて。。。
誰かに相談して。。。


たぶん、少しリニューアル!しよう、かな? 
たぶん、します!

ジャージ。

真剣で辛い感じの日記のあとに書く話題でもないのですが・・・
今日、お仕事上の必要からジャージ(トレーニング・ウエア)を買いました。

ジャージって!!

とにかくどんなジャージでも「ジャージ」なんですね?
着た瞬間に「ジャージ」な人になってしまう。。。

とにかく目立たないような無難なジャージを探したのですが、
目立っても目立たなくてもジャージはジャージ。

たまたま黒縁眼鏡をかけて買い物に出かけていたせいなのか、
(眼鏡に罪はないはずなのだけれど)
ものすごく根が暗い人のように見えて、
そして服装に無関心な人のように見えて。

「おしゃれなジャージ」は「しょっぱい砂糖」と同じぐらい形容矛盾する言葉だな、と思い知りました。

これからときどきジャージをきて人前に出なければならないと思うと、恥ずかしいです・・・

遅れてきた郵便

おととしの夏に受信したメールがありました。
ホッツからのメールで、思わず開いて読んでみたら、抗議文でした。


 「人造眼鏡っ娘図書委員長」の同人誌の目的は、「萌え」を追求しつつ、男性オタクが持つ女性への無意識的な差別をなくすようにすること。それなのにレイちゃんは、最初は賛同していたのに途中から「できない」と言いはじめた。はてなの日記でもコメントでも男性オタクに迎合するようなことしか書いていない。


そんな内容でした。
確かに、前に読んだメールでしたけれど、忘れていました。
今、過去から突然手紙が届いたような気持ちです。

最初にこのメールをもらったときも、
「萌え」と「啓蒙」の両方を成り立たせるなんて難しいと思い、困ったのでした。
そして今、この手紙が再び配達されて、前よりもいっそう困惑しています。


言い訳をする相手がもういないから?
友達だと思っていた相手が、実は自分に腹を立てていたから?
(腹を立てたままだったのか、そうではないのかはわかりません)

いえいえ、そうではなくて。

私はもう少し頑張って「萌え」と「啓蒙」が両立するようなやり方を試みることができなかったのかな?
ということに悩んでいるのです。
それが、「人造眼鏡っ娘図書委員長」の存在意義だったからです。

「水野レイをプロデュースする!」と意気込んでいた人は、(たぶん私に幻滅したまま)いなくなり、
私は今現在に至るまで「仕事」がうまくできていないのだ、ということを突きつけられたのです。


自分が過去にしてきたことを踏まえて、これからどうするといいのか、
わたしの中では、もう何となく分かっています。