「恥ずかしい」と「エロい」について

コメントいただけると、考えるきっかけになりますね・・・
前の日記で、魯介クンが「恥ずかしい」ということについてコメントをつけてくださいました。
 恥ずかしがっている姿が「エロい」。

「人造眼鏡っ娘図書委員長」としてステージに立ったことのあるわたしとしては、すごーく重い一言です。


「恥ずかしい」という気持ちは、喜怒哀楽いろんな気持ちがある中でも、やっぱりあんまり嬉しくない気持ちです。でもー、「嬉し恥ずかし」という言葉があるように、嬉しいんだけれど恥ずかしくて、どうしたいいか分からなくて、混乱しちゃって、はちゃめちゃ。ということもあります。
(あれ?文章がはちゃめちゃです)


例えば、「喜んでいる人」と「喜んでいない人」が対決したら、「喜んでいる人」のほうが「勝ち」な気がします。
そう考えると、「恥ずかしがっている人」と「恥ずかしがっていない人」が対決したら、「恥ずかしがっていない人」のほうが「勝ち」っぽいです。


・・・ということは、ありがたいことにイベントに出演させてもらっていたにもかかわらず、毎回恥ずかしがってはちゃめちゃになっているわたしは「負け」なのかもしれません。


しかも、もし恥ずかしがっている姿が「エロい」のだとしたらー。
「エロいと思われている人」と「エロいと思っている人」が対決したら、「エロいと思っている人」のほうが能動的で「勝ち」っぽいので、わたしは二重に「負け」です。


でも最近は、「エロ可愛い」とか「エロカワ」という言葉ができて、「エロい」ことが良いことになっています。
さっきの対決の、「エロいと思われている人」が、「エロいと思われると嬉しい人」なのか「エロいと思われると嬉しくない人」なのかで、勝ち負けは大分違いますね。


「エロいと思われると嬉しい人」が、他の人から「エローい☆」と思ってもらったら、きっと嬉しいでしょう。
(そんな風に割り切れたらいいな。。。)


それに、「エロいと思われると嬉しい人」と「エロいと思われると嬉しくない人」が対決したら、「エロいと思われると嬉しい人」のほうが強そう!!勝ちますね。


でもー、でもー、よく考えると、「エロいと思われると嬉しい人」がイメージしている「エロい」と、「恥ずかしがっている姿がエロい」と思っている人がイメージしている「エロい」は、ちょっと中身が違いそうです。


「エロいと思われると嬉しい人」がイメージしている「エロい」は、なんだか強そうだけど、「恥ずかしがっている姿がエロい」と思っている人がイメージしている「エロい」は、弱そう。



わたしはどうしてもステージに立つことが恥ずかしいので、もし、わたし・水野レイが恥ずかしがっている姿がエロいと思う人がいたら、わたしって弱そうに思われているのかもしれないし、実際に弱いし、負けちゃっています。
(そう思うだけで恥ずかしい。。。)


じゃあ、どうするか?

恥ずかしがらない!!








それは、無理ーーー(>_<)



というわけで、何の解決にもならないのでした・・・