一方で

わたしは晶さんの日記を読んだとき、会場中が大笑いに包まれている中、その笑いについていけない、というよりも「笑い」という針のムシロに座り続けるしかなかった晶さんのお気持ちを考えたら、とても悲しくなってしまいました。


みんなが大笑いするような行動でも、晶さんのような感性をもった方には辛く不愉快なものに感じたのです。晶さんは、「私立眼鏡学園」での「マイノリティ」だったのだと思います。晶さんのように日記という形で言葉にできなくても、そう思った人がいないとは言い切れません。

たくさんの人が集まる以上、みんなが同じ感性を持っているとは限りません。そして、「人数が少ない」というだけで、その場がその人にとって居心地の良いものになる可能性は小さくなります。
だからこそ、「人数の多さや少なさに関係なく、なるべくみんなが居心地のよいようにしよう!」というのが、「反差別」という言葉の意味だと思います。「居心地が悪い人は出て行け!」というのではだめです。